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2025/02/03

ルディアと~に6話4章を


 いつもあとちょっとと思ってからが長いのです。まあ前より推敲頑張るようになったので!? まあ!?
 拍手ぽちぽちありがとうございました~!!
 次の話はプロットもう作ってあるので頑張ってガリガリ書いていきます~!!

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2016/09/07 更新履歴 Comment(0)

進捗


 あと2場面で中編終わりです~。うおー頑張るですぞ~。
 次の章とその次の章で6話は終わりなんですが、一応プロットもそこまではできているのでサクサク書きたい、サクサク! サクサク!
 年内に第2部終わりたいな!! 無理だろうな!! 今日は肉食ってパワーつけてきます!!

2016/09/03 未選択 Comment(0)

今日はゲーテの誕生日だよ


 1749年8月28日正午、12時の鐘が鳴るとともに、私はフランクフルト・アム・マインでこの世に生を受けた。星の位置は吉兆を示していた。 ――『詩と真実』より。

 というわけでゲーテの誕生日です。何かしたいなーと思いつつ何も浮かばないまま18時を迎えてしまった……。『イタリア紀行』の8月28日付の記録とか読んでニヤニヤはしたんですけどね。折角だからおすすめのゲーテとか紹介したいじゃないですか。

 はい。というわけで今日の日記はエッカーマン著『ゲーテとの対話』について語りたいと思います。いつも更新記録か進捗状況くらいしか書かない日記なんですけど。折角なんで。折角推しの詩人の誕生日なんで。

 まずゲーテって誰だよって言われるとあれなんで、代表作は『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』と言っておきます。ウェルテルは小説、ファウストは戯曲です。他にも数多くの詩や小説を残していて、シューベルトがゲーテの書いたポエム『魔王』に曲をつけたと言ったら「あー」ってなるんじゃないでしょうか。

 じゃあエッカーマンは誰だよと言うと、この人は晩年のゲーテの友人です。40歳だか50歳だか年齢が離れています。師弟と言えそうな部分もあり、秘書と言えそうな部分もありますが、(実際に老ゲーテの秘書とされていることが多いです)本人は「友人と言ってほしい」と主張していたそうなので彼の意向に沿いたいと思います。

 『ゲーテとの対話』はこのエッカーマンが晩年のゲーテの言行をまとめたものなんですね。で、まあ、長々とネットで検索すればわかるようなことを書いても仕方ないので結論から言いますと、

 これ創作する人のための本です。

 小説でも漫画でも映画でも舞台でも美術でもなんでも創作するということに関わっている方は、読めば得るものが大きいんじゃないでしょうか。

 あのね、パワーストーンの広告とかじゃないんですけどね、私はこれ読んで、ずぶずぶゲーテ沼にはまっていくにつれて、ものすごい自分の世界が広く深くなっていったので、とにかくスゲーぞと言いたいわけなんです。

 200年も昔のドイツの人たちが喋ってることなのに創作あるある話には頷くしかないですし、いかにして目指す創作者となるかという指標が記されていると思います。

 なお故・水木しげる先生は『ゲーテとの対話』を暗記するまで読み込み、戦場へも持っていったということです。『ゲゲゲのゲーテ』とかいう冗談みたいな名前の本も出ています。

 私の場合、『ゲーテとの対話』は「なぜ書くのか?」「なんのために書くのか?」「書き上げたところで一体なんになるのか?」といった、ともすれば遅い筆を止めてしまうような自問に答えてくれる本でした。

 いや、まじで心が楽になりましたよ。その代わり鋭いナイフで抉られることもありましたが。ちなみに耳が痛かったゲーテの言葉がこちら。

 「スケールの大きい文章を書こうとするなら、スケールの大きい性格を持たなければならない」 

 耳が……痛いです、先生……。「ひとかどのものを作るためには、自分もひとかどのものになることが必要だ」なんかも同じ系統の言葉ですね。「比較的才能の乏しい連中は芸術そのものに満足せず、作品の完成によって手に入れたいと望む利益のことばかり考えている(※うろ覚え)」とかね。もうね、巨匠にはお見通しですよ。

 芸術そのもの、というのは要するに小説でいえば「書くという行為」のことです。真の芸術家は制作することにのみ熱中するものだと、いつまでも書き終わりたくないと思うものだと、そういうことが書かれているわけですね。「書いたということが大事なのであって、それが世間でどう扱われようとどうでもいいことなのだ(※うろ覚え)」とか思わずハッとしました。

 またこれを記録するエッカーマンがゲーテ大好きでねえ……。一々いちいち「今日はゲーテとふたりきりだった」とか「私はゲーテの手を握って彼をなだめた」とか「その情報いるか? 本当にいるか?」ってことまで載せてくるので腐ったお姉さんは別の楽しみを見い出せるかもしれません。

 前・中・後と3冊あるんですけどね、私この本に付箋貼りすぎてハリネズミにしましたからね。すごい情報の量と質です。

 一応付け加えておくと、『ゲーテとの対話』は全編通してエッカーマンのゲーテ大好きフィルターがかかっているのでおそらく実際のゲーテとは多少異なる面があります。でもここに書かれたゲーテもまたひとつの真実なのだろうなと。

 この『ゲーテとの対話』が気に入ればゲーテの著作もおのずと気になってくるし、ゲーテ沼に一直線ですよ。はっはっは。ちなみにゲーテの書く主人公はどいつもこいつも大概なので、主人公がクズなのはちょっと……という方には『詩と真実』『イタリア紀行』などをおすすめしておきます。

 ゲーテはいいぞ!


2016/08/28 未選択 Comment(0)

シンゴジラ観ました


 いやー、すごかったですね。
 以下感想をつらつらと。ネタバレは控えるつもりですが気になる方はご注意ください。













 まあ何がすごいって、映画館出た後に駅前のビル街に「あ、ゴジラが見える」ってなったのがすごかったです。シャブかよ。幻覚剤かよ。この幻覚ね、15時前に映画終わって夜になるまでずっと幻視可能でした。

 こういう書き方するとなんか私がヤバい人みたいなんで説明させていただくと、一緒に観に行ったフォロワーさんと「あの高層ビルの影からゴジラがにゅって出てくるよ……」「わかる、そんであそこを通ってあのビルを倒して進んでいく……」という妄想にものすごいリアルで鮮明なビジョンを、自分の眼前にある現実の風景に、映し出すことが可能だったという意味です。

 もしかしたらこういう経験は他の映画好きな方にとっては当たり前のことなのかもしれないんですが、私は人生初だったので結構衝撃的でした。だってさあ、劇中の人物が見たであろうサイズのゴジラの幻がさあ、見えるんだもん。「なんだこれ????」ってなりましたね。

 上映後、街を歩くのが楽しくて楽しくてしょうがなかったです。13階だか14階だかのカフェのテラスで感想を語り合っていたときも「やべーあの建物の横から出てくるゴジラ見える」「向かいのビルのガラス窓にゴジラが映り込んでいる」「やべー」「すげー」みたいな会話いっぱいしてました。他にも「ゴジラの幻覚見えたよ!」って方がいたら感想をおうかがいしたい。あのね、ほんと『昴』のボレロの後みたいでした。ほんと。



 もうひとつ、「同じ脚本、同じキャスト、同じスタッフを使ったとしても庵野監督じゃなかったらここまで大作にならなかっただろうなあ」とわかるのがまたすごかった。

 一緒に観に行ったフォロワーさんも仰っていたんですが、世界観の厚みがすさまじいんですよね。厚み、或いは奥行きと言えるかもしれません。監督の中に存在しているシンゴジラの世界のうち、あの映画に出てきているのは1%くらいなんじゃないかと思うんですよ。残りの99%は、語られず、映りもせず、だけど存在感を放っている。このシンゴジラの世界にはものすごく多くの人間が生きているんだと、スクリーンに現れなかったものまで想像可能なんですよね。それが本当にすごいなあと思って。

 そしてこういう風に感じるのは、シンゴジラがものすごく高密に圧縮された物語だからだと思うんです。上手い例えが思い浮かばなくて自分でも残念極まりないんですが、ワカメをね、ワカメのまま出すことは難しくないんです。で、料理人はそれを美しく切って装飾したり、自分なりの味を加えて良いものにしたりするわけで。だけど庵野監督みたいにワカメの水分を極限まで飛ばして乾燥させる、およそ2時間という尺にぎゅぎゅっと押し込めることは並大抵の才能ではできないわけですよ。

 要らない部分を「削った」んじゃないんです「圧縮した」んです。だからこっちも元の大きな大きなワカメをみずみずしく思い浮かべることができるんです。いや、もう、まじで半端ねえ。天才だよ。天才です。何をどうしたらこういう才能が生まれるのか、もしかしたらシンゴジラそのものより監督の才能のほうに感動したかもしれません。



 私がなるほどと思うゲーテの言葉に(厳密な言い回しは忘れましたが)「作者や作品の偉大さはその作品の素材ではなく、その素材をどう扱っているかに出る」というのがありまして、シンゴジラではそのことをまざまざと実感したのです。

 素材というのは登場人物とか状況設定のことだと認識しています。一番大きな素材はやはりゴジラでしょう。ストーリー展開も素材と言えるかもしれません。たとえ同じ展開、同じ結末を用意しても、他の監督が撮ったものと庵野監督の撮ったものでは明確な違いが生まれるでしょうから。

 で、その違いというのがまさにこの「世界観の圧縮」に他ならないと思うんですよね。ファウスト第2部なんかもそうなんですが、「世界観の圧縮」が行われている作品って、はまりこんだ人がものすごい研究的に読み込むんですよ。どこを切り取ってもどこを掘り下げても必ず何か発見があるから。これってエヴァが起こしたのと同じ現象だと思うんですよ。

 いや……すごいな……。庵野さんは本物なんだな……。いや……、ほんと語彙力が死ぬわ……。



 というわけでネタバレせずにこれだけ語れるシンゴジラ、まだご覧になっていない方には是非観ていただきたい作品です。

2016/08/28 感想 Comment(0)

進捗


 中編と後編のプロット作っております。いつも用意するプロットよりだいぶ細かい半分本番みたいなプロットなので後編がまだ終わらない……。「こうなる予定で書いてるけど本当にこうなってくれるのか???」と不安すぎて見切り発車できないアレです。整合性を保つことに消費するエネルギーがぱねえ。昔に比べて筆が遅くなったな~としょんぼりしていたんですが、昔より書いてる話の設定が複雑なんだから仕方ないですよね。うん、きっとそう。
 拍手ぽちぽちありがとうございます~!

2016/08/23 未選択 Comment(0)

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