いやー、すごかったですね。
以下感想をつらつらと。ネタバレは控えるつもりですが気になる方はご注意ください。
まあ何がすごいって、映画館出た後に駅前のビル街に
「あ、ゴジラが見える」ってなったのがすごかったです。シャブかよ。幻覚剤かよ。この幻覚ね、15時前に映画終わって夜になるまでずっと幻視可能でした。
こういう書き方するとなんか私がヤバい人みたいなんで説明させていただくと、一緒に観に行ったフォロワーさんと
「あの高層ビルの影からゴジラがにゅって出てくるよ……」「わかる、そんであそこを通ってあのビルを倒して進んでいく……」という妄想にものすごいリアルで鮮明なビジョンを、自分の眼前にある現実の風景に、映し出すことが可能だったという意味です。
もしかしたらこういう経験は他の映画好きな方にとっては当たり前のことなのかもしれないんですが、私は人生初だったので結構衝撃的でした。だってさあ、劇中の人物が見たであろうサイズのゴジラの幻がさあ、見えるんだもん。
「なんだこれ????」ってなりましたね。
上映後、街を歩くのが楽しくて楽しくてしょうがなかったです。13階だか14階だかのカフェのテラスで感想を語り合っていたときも
「やべーあの建物の横から出てくるゴジラ見える」「向かいのビルのガラス窓にゴジラが映り込んでいる」「やべー」「すげー」みたいな会話いっぱいしてました。他にも
「ゴジラの幻覚見えたよ!」って方がいたら感想をおうかがいしたい。あのね、ほんと『昴』のボレロの後みたいでした。ほんと。
もうひとつ、
「同じ脚本、同じキャスト、同じスタッフを使ったとしても庵野監督じゃなかったらここまで大作にならなかっただろうなあ」とわかるのがまたすごかった。
一緒に観に行ったフォロワーさんも仰っていたんですが、世界観の厚みがすさまじいんですよね。厚み、或いは奥行きと言えるかもしれません。監督の中に存在しているシンゴジラの世界のうち、あの映画に出てきているのは1%くらいなんじゃないかと思うんですよ。残りの99%は、語られず、映りもせず、だけど存在感を放っている。このシンゴジラの世界にはものすごく多くの人間が生きているんだと、スクリーンに現れなかったものまで想像可能なんですよね。それが本当にすごいなあと思って。
そしてこういう風に感じるのは、シンゴジラがものすごく高密に圧縮された物語だからだと思うんです。上手い例えが思い浮かばなくて自分でも残念極まりないんですが、ワカメをね、ワカメのまま出すことは難しくないんです。で、料理人はそれを美しく切って装飾したり、自分なりの味を加えて良いものにしたりするわけで。だけど庵野監督みたいにワカメの水分を極限まで飛ばして乾燥させる、およそ2時間という尺にぎゅぎゅっと押し込めることは並大抵の才能ではできないわけですよ。
要らない部分を「削った」んじゃないんです「圧縮した」んです。だからこっちも元の大きな大きなワカメをみずみずしく思い浮かべることができるんです。いや、もう、まじで半端ねえ。天才だよ。天才です。何をどうしたらこういう才能が生まれるのか、もしかしたらシンゴジラそのものより監督の才能のほうに感動したかもしれません。
私がなるほどと思うゲーテの言葉に(厳密な言い回しは忘れましたが)
「作者や作品の偉大さはその作品の素材ではなく、その素材をどう扱っているかに出る」というのがありまして、シンゴジラではそのことをまざまざと実感したのです。
素材というのは登場人物とか状況設定のことだと認識しています。一番大きな素材はやはりゴジラでしょう。ストーリー展開も素材と言えるかもしれません。たとえ同じ展開、同じ結末を用意しても、他の監督が撮ったものと庵野監督の撮ったものでは明確な違いが生まれるでしょうから。
で、その違いというのがまさにこの「世界観の圧縮」に他ならないと思うんですよね。ファウスト第2部なんかもそうなんですが、「世界観の圧縮」が行われている作品って、はまりこんだ人がものすごい研究的に読み込むんですよ。どこを切り取ってもどこを掘り下げても必ず何か発見があるから。これってエヴァが起こしたのと同じ現象だと思うんですよ。
いや……すごいな……。庵野さんは本物なんだな……。いや……、ほんと語彙力が死ぬわ……。
というわけでネタバレせずにこれだけ語れるシンゴジラ、まだご覧になっていない方には是非観ていただきたい作品です。
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2016/08/28
感想